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【2005は九州板から】補助スクリプト実験中ですっ!【バグ報告歓迎】
102 名前: 名無しでよか? 投稿日: 2013/05/23(木) 00:52:57 ID:H8AnVazw [ HKRnf10789.tokyo-ip.dti.ne.jp ]
溝が谷


  溝が谷の名前について

 溝が谷は正式には川の名前ではありません。これは代田村の字(あざ)名です。場所は現在の井の頭線の線路の僅かに北側から、流れに沿って北沢川までの細長い地域です。このあたりは、比較的早くから、開発が進んでおり、淡島通りの北側は箱根土地株式会社(現国土計画)が開発した分譲地(清風園と名付けられていました。)の一部となりました。分譲地の大部分は川の西側の山の斜面です。発売は昭和の初期です。北沢川の改修の時期と同じ頃だったと思われます。この時に分譲地内では川は暗渠となっています。淡島通りより下流は改修の影響で川筋が大きく変更されたため、以降の「下水」がどこをとっていたかは狭い通り路をたどればわかりますが川という名に値するのでしょうか。井の頭線のすぐ南側はだいぶ長く川の様相があったようで、今でもそんなに年寄りでなくてもあそこで魚を捕ったという人に会うことがあります。宅地となったのは昭和40年代ではなかったかと思います。最も遅くまで開発されていなかったのが井の頭線の北側でした。ずっと原っぱだった様に思います。

 昔、溝が谷に池があったそうです。場所は清風園のところだそうです。清風園は箱根土地株式会社が売り出した分譲地でその範囲は代沢1丁目27,29の西側と28、代沢2丁目1,2と3の南側、代沢3丁目14の北側と15,16ですから池があったとすれば、代沢1丁目27から28,29の辺りでしょう。    
 この池が駅名になった池の上の字名の由来でしょう。池尻の名もここからかもしれません。「世田谷の地名」という本では大橋からの大きい池を想定していますが、むしろこのような小さな池が集まった湿地が、大橋の辺りまで続いていたのではないかと思います。

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